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FPの知識や本から学んだことのアウトプット

『なぜ』の持つ問題点

インサイトという本を読んで『なぜ』のもつ問題点を知った。 最近の一番の学びであり、これまでの自分を猛烈に反省した。

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昔からすぐ「なぜ」って考えてしまう癖がある。 しかも、その癖は自分にとってプラスになる事だと思っていた。

しかし「なぜ」には成長を妨げる3つの問題点がある。

1つ目は、人が「なぜ」を問うとき、つまり、自分の思考、感情、行動の原因を検証する時、1番簡単でもっともらしい答えを探してしまうという点。 例えば遅刻をしてしまった際に、遅刻の理由を電車が遅れたからという理由づけで済ませて、多くの場合、そこで考えることをやめてしまう。

大事なのは「何」をすれば遅刻をしなかったかを考え、「一本前の電車に乗ろう」などの改善策を考えることにつなげること。

2つ目は「なぜ」と問うと、サボりがちな脳に私たちをミスリードさせてしまう可能性があるということ。

例えば、パートナーとの関係性を聞かれたとき、直前に一緒に楽しい旅行に行っていたりすると、実際より良い評価で説明してしまったり、逆にケンカをしていたりすると、実際より悪い評価で説明してしまう。

これは親近性効果というらしい。 また「なぜ」と問うことで、決断の質をも低下させる可能性がある。 ある研究では、バスケットボールの専門家を自認する人々に、学生の全国トーナメントの結果を予想してもらうという実験があり、半数は事前に理由を分析してから予想してもらい、もう半数はたんに予想だけを問うというもの。

驚くべきことに、考えてから選択した人々の方が、そうでない人に比べて優勝するチームを予想する割合が低かった。

つまり物事を考え過ぎてしまうと、専門知識もすっかり役に立たなくなってしまうということ。

そして、「なぜ」と問うことが破壊的なことである

最後の理由は、精神衛生に与える悪影響である。

例1)知能テストで不合格となったイギリスの大学生たちに、なぜ今のような気分になっているか書くよう指示すると、対照群に比べて、そうした学生は直後から落ち込みが大きく、12時間後でさえも同じ傾向が続いているという。

原因を考え始めたことで、健康的で生産的な方法で前進するのではなく、問題にこだわって自分を責めてしまっていた。

例2)二人の評価者が学期の初めに受けた「社交性、好感度、人を惹きつける力」に関するテストの評価をするというもので一人の評価者はポジティブに、もう片方はネガティブな評価をするという実験。

そして正確性を判定する前に、ある参加者たちは「なぜ」自分が今のような自分であるかについて考える時間を持たされ、別の参加者たちは、自分が「どんな」人間であるかを考える時間を持たされた。

「なぜ」と考えさせれた学生はネガティブな評価に抵抗を示し、評価を受け入れたり、検討することもなく、「評価を否定する為に理屈づけし、自分を正当化し、間違っている理由を探そう」としていた。 一方「どんな」と考えさせられた学生は反対にネガティブな評価を受け入れることが多く、自分をより良く理解する手助けになるかもしれないと考えた。

ここでの教訓は「どんな/何」と問うことによって、自分についての新たな情報を発見することに対してオープンになれるということ。

たとえ、その情報がネガティブなものであったり、今自分が信じていることに反するものであっても。「なぜ」と問うことはその正反対の影響がある。 「なぜ」から「何」への変化は、被害者意識から成長への変化であり、そして感情に名前をつけることを迫るものということ。

例外としては、ビジネス上の難題を切り抜けたり、チームや組織の問題を解決しようとする際は、「なぜ」と問うことが重要。

プロジェクトの失敗や製品の改善などのさいは失敗の原因を知る必要があるからである。

つまり「なぜ」という問いは基本的に自分の周りを理解する際に役立ち、「何」という問いは基本的に自分を理解する際に役立つということ。 この「なぜ?」と「何?」を分けて考える習慣は今後ものすごくプラスの影響を与えてくれると思うし、今知れて、過去の自分を反省するきっかけになって良かった。 ものすごくいい本だけど、読むのに時間がかかる。