Everything is up for debate

FPの知識や本から学んだことのアウトプット

道なき道とは

多くの人は『結果が出るかどうかわからない事』に力を注ぐ事に対して、不安を抱いてしまう。

 

例年通り、今まで通りにやれば、それなりに結果が出続けると思っている。 だから多くの企業が変化を拒んでしまう。

 

コレは年齢で分けることができない問題だと思う。

 

若い人は変化を期待し、年配者は現状維持をしたいと明確に区切れるものでもない。

 

経営陣は前年対比という何の根拠もない数字で、今までと同じことで数字を伸ばせといい、多くの従業員もまた、今まで通りの仕事をこなしている方が楽だと考えている。

 

つまり多くの人が、道なき道を歩くのが怖いと感じてしまっている。

 

しかし、世の中を見てみると多くのIT企業が前人未到の道を歩んでいる。

 

ジョブズザッカーバーグもラリーペイジもベゾスも、彼らだって人間だし、多少不安はあったはずだ。

 

しかしGoogleFacebookAmazonAppleなど、道なき道を歩く人が、これだけたくさんいるということは、もはや道なき道がそこまで危険な時代ではないということなのかもしれない。

 

「人間はどういう時に、どういうふうに感じて、どういうふうに行動するんだろうか」を突き詰めていき、人に喜んでもらえるサービスを提供できれば必ず生き残れる。

 

自動車がない時代、自動車を作る人たちは前代未聞のことをしていた。

 

多くの嘲笑もあったに違いない。 しかし人間の「早く楽に移動したい」という根源的な欲求があることを理解していたから挑戦できた。

 

今、世の中の人は何を求めているのだろう。 世の中を見渡し、時代の変化を感じながらも、変わらない本質的なものを見れるようになりたいと思う。

日常に余白を

子供を見ていると、次から次へと自分のやりたいことをやっている感じだ。 飽きたら、すぐ他のことを始める。

 

おそらく日常に余白がたくさんあるからだ。 一方、大人には全く余白がない。

 

仕事をして、帰ってきて息抜きして、また朝が来る

 

家に帰ってきても、ネットフリックスや、SNS、メッセージアプリやニュースアプリなど少ない余白を外からの情報がどんどん埋めてしまう。

 

おそらく余白がかってに生まれるなんてありえないのだろう。

 

しかし、自分の内側から出てくる、感情やアイデアこそ大切なのではないかと思う。

 

ジョブズなどイノベーターと言われる経営者はマインドフルネスの心を保つため、瞑想、座禅、ヨガなどを意図的に取り入れている。

 

ビジョン思考を機能させるために必要らしい。

 

つまり、忙しい大人ほど限られた時間をよりよく生きるために、あえて時間の余白を作る必要があるのだと思う。

 

余裕が出来たらやってみようではなく、先回りして余白を作る必要があると自分に言い聞かせよう。

 

とりあえず無地のノートに向き合う時間を取り入れて、その他の時間は情報に触れ続けよう。

機能の少なさが育む創造力

先日、子供を連れてAEONに行った。

 

そこで子供が専門店街にある、子供の遊び場を見てそこで遊びたいと言った。

 

そこのスペースには、木製の大きな滑り台があるだけで、すぐに飽きちゃうのだろうなって思っていた。

 

しかし、いつまで経っても飽きずに遊んでいる。

 

何が楽しいのかな?って考えながから見ていた。

 

しばらく見ていると、むしろ飽きるどころか、滑り方を変えたり、近くにいる子と一緒に遊びだしたりし始めた。

 

おそらく、滑り台しかないという状況が、子供たちに、その中で楽しむための工夫をすることを促しているのかなと思った。

 

つまり、工夫をする余白を設計することで、子供の創造力を引き出すという仮説が立つ。

 

その仮説をもとに日常を振り返ってみると、子供が遊んでいるものは機能や情報が多すぎる為、工夫する力が身につかないのではないかと思った。

 

おもちゃには色々な機能が付いているし、YouTubeには情報が溢れている。

 

公園で集まってSwitchをしている子供もいる。

 

そう言った日常の中で身につく能力もあるかも知れない。

 

しかし、それでは与えられた情報や機能の枠を超えて考える力が身につくかは疑問だ。

 

以前、祖母が「昔は石と葉っぱでおままごとをしていた。」と話していたが、今の小学生が石と葉っぱで楽しめるだろうか?

 

まだ自分の子供は、おもちゃの人形に独自のルールや特徴をつけて自分なりの世界観で遊べている。

 

この妄想する力を奪わないように、むしろ伸ばせるように、子供と接していきたいと思う。 

 

一緒に考え、一緒に成長しよう

複数の自分を使い分ける

「オンリーワン」や「自分らしく生きよう」って言葉が言われすぎて、逆に居心地が悪く感じる。

 

仕事の自分は、真面目だけど、趣味のコミュニティーではお調子者、家だと怠け者みたいな方がラクだし、それはそれで自分らしいとも思う。

 

要するに所属する環境に合わせて複数の自分を使い分ける方が自然だし、その全てが「ほんとの自分」である。

 

だから、これからの世の中を自分らしく生きていくためには会社や家族以外の複数のコミュニティに所属している方が良い。

 

趣味、自己啓発、ビジネス、ボランティアなど。 その各々コミュニティで役割が与えらると思う。

 

今までは会社という絶対的なコミュニティに所属さえしていれば、安定した生活や老後が約束されていた。

 

会社に行けば、嫌なこともあるが、ある程度の生活を約束され、役割を与えてくれるので、そこに自分自身の存在意義を見いだせていた。

 

しかし、世の中の変化により、会社というコミュニティが多くの社員を守り抜く力を失った今、自分自身の人生をもう一度真剣に考える機会が必要にやってきている。

 

日常のコンフォートゾーン(快適な空間)から一歩外に出るだけで、違った世界や価値観に巡り合える。 最初の一歩は勇気のいるものだと思う。

 

このまま今までと同じ日常を歩んでいく方がラクだし、面倒でないのも、間違いない。

 

ただ行動を起こした人だけが出来る経験や見れる景色がある事も事実だ。

 

自分らしく生きるために、新しい場所へ参加する習慣をつけよう。

「何をすべきか」より「どうありたいか」を追求する

何年か前から、「何をすべきか?」を考える前に、「どうありたいか?」を考えるようにしている。

 

そこには2つ理由がある。

 

1つ目は、何かを決めるときに、「どうありたいか」が基準としてあれば、判断に迷わずにすぐ行動に移せるから。

 

2つ目は、「何をすべきか?」は自分の意思以外が簡単に反映されてしまうからである。

 

例えば、顧客にサービスを提供するときに、相手にとって最善のものではなく、会社や上司にとって都合の良い物を提供してしまうことがある。

 

しかし「お客様にとって最善を尽くせる人間になる」という基準があれば、周りの影響を受けずにすむ。

 

そのおかげで、自社のサービス以外が、相手にとってベストと判断した時は、迷わずそのサービスを紹介が出来る。この方があとから、結果がついてくる。

 

こう言った理由で、「どうありたいか」を大切にしてきた。

 

最近、その考え方を更に確固たるものにしてくれる言葉に出会った。

 

それは、セブンイレブンの創業者の方の書籍に書いてあった『「あるべき姿」をひたすら追求する』という言葉だ。

 

そこには、お客様に提供する商品やサービスの価値には「相対的な価値」と「絶対的な価値」があると記されている。

"前者は、競合他社などと比べてより優れているといった優劣を競う価値で、これに対し後者は、お客様により満足してもらいたいという自分たちの思いや価値観を大切にし、「あるべき姿」をひたすら追求することでもたらされる価値。

 

日本人は横並びの意識が強いためか、同業他社に目を向け、相対的な比較の中で他社より少し進んだ程度で挑戦したつもりになりがちだ。

 

しかし、本当に必要な挑戦は、自分たちの目指す「あるべき姿」に目を向けて絶対を追求し、絶えず踏み込んで行く挑戦であることを忘れてはいけない。" この本を見て、今まで大切にしていた考え方がアップデートされた気がした。

 

やはり、自分にとっての本はとても価値のあるだと思うし、周りに本を読む人が増えて欲しいと思う。

多様性という言葉の弊害

多様性って一体なんだろう?

 

人それぞれに人生のストーリーがあって、いろんな価値観や世界観がある。

 

その考え方や生き方を他人が否定したり、異なった考え方を強制して良いものでもない。

 

しかし、多用性って言葉が1人歩きしてしまい、分かり合えない事が増えてる気がする。

 

「人それぞれだから」といい、距離を取り合ってしまたったり、他人の考えと自分の考えのズレを「仕方のないもの」として、簡単に処理してしまう。

 

なんとなく、アドラー心理学の"課題の分離"とごちゃ混ぜになってる気さえする。

#アドラー心理学は心理学ではない

 

本当の多用性とは、考え方のズレに対して、ぶつかり合って、許し合い、認め合う事ではないのだろうか。

 

少なくとも、相手に気を遣って自分の意見を押し殺すことではない。

 

人間関係は本気で向き合わないと分かり合えない事の方が多い。 #家族でさえわからない事だらけ #全てをわかる必要はないとも思う

#共感性を主張する多様性ユーザーほどうざいものはない

 

多様性という言葉に支配されて、人間関係が希薄にならないように、大切な人ほどちゃんと向き合えるような付き合い方をしたい。

時間を奪うコミュニケーション

最近、色々な方とお話しさせて頂く機会があり、今までの自分を反省できる"気づき"があった。

 

それはコミュニケーションには快適さがあるということ。

 

会話やLINEのやりとりをしていて、「ん?」って感じたり、「このやりとり早く辞めたいな」って感じる時もあれば、すごく会話がスムーズであっという間に時間がたってしまったり、終わったあとモチベーションがあがるコミュニケーションもあった。

 

ここにはどんな差があるのか考えてみて、自分なりに二つの答えを出せた。

 

それは①『相手(価値観)の知ろうとすること』と②『相手の時間を意識すること』だ。

 

これらの二つは質問の内容で顕著に現れる。

 

①に関しては、コミュニケーションを取る上で相手について興味を持つことは重要であるって言葉で聞けば当たり前って思えるが、自分自身も含めて出来ていない人の方が多いと思う。

 

政治について全く興味ない人に、政治について聞いたり、ダイエットしてる人に流行りのスイーツの話題をふっちゃうなど。

 

今の時代、相手が何に興味があるかなんて、いくらでも調べることが出来るのに、それをしないというのは、相手に「あなたのこと興味ないですよ」って言ってるようなもの。

 

逆にここを押さえている人との会話、少ないワードでもやり取りが成立して話がどんどん進む。

 

②に関しては、「それググればすぐ出るけど」ってことを平気で質問してしまう。

 

結局、聞かれた立場としても、間違ったこと伝えられないので、再確認して調べてから回答している。

 

ググったことで知識が定着したというポジティブな考えは抜きにすると、なんでこの人の為にググっているのだろう?って感じてしまった。

 

僕自身、精通している人に聞くと早いと思って、ろくに調べもせずにすぐ質問してしまうことが多々あった。

 

振り返ってみると、その相手の時間をいたずらに奪っていたと、ものすごく反省する機会になった。 (*個人的に人の時間を奪うのは、暴力よりタチが悪いと思っている。暴力は罰せられるけど、人の時間を奪う行為は犯罪にならないことの方が多いから。)

 

こちらもしっかり押さえている人は事前に調べてから、ファクトではなく考察についての質問をくれる。

 

考察についての質問は、その問について考えるだけで、ものすごく勉強になる。

 

いずれにしても時間は大切。

 

残された時間をどのように使っていくかを考えることが人生なのかなと思った。

 

この気づきはこれからの自分に役立つし、大切な人を不快にさせないためにも、肝に銘じておこうと思う。

 

遅すぎるかもしれないが、今気づけて良かった。