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FPの知識や本から学んだことのアウトプット

時間を大切にするということ。

人生で大切にしているものはなんだろうか? 家族、健康、お金、仕事。

人 それぞれ、さまざまあると思う。

その中で大切なはずなのに、何故かないがしろにされているものが「時間」だ。

時間はまさに命そのものであるはずなのに多くの場合、「お金」の価値が「時間」の価値を上回ってしまう。

例えば、クリーニング代がもったいないと思い、1時間かけて自分でワイシャツにアイロンをかける。

アイロンがけをしている時間がすごく好きという場合を除き、自分の1時間の価値をクリーニング代より安く見積もるということになる。

時間さえあれば、いくらでも思考して行動できるし、大切な人と時間の共有も出来る。

時間があるからこそ、人生で本当にやりたいことをして生きていくことができる。

時間をお金で買うことができるなら迷わず支払えるようになりたい。

どんな人であっても、過ぎ去った時間だけは取り戻せない。

これが人生の真実だ。

もし、本当に自分の人生を全うしたいのなら、まずは時間を大切にすること。

何歳であっても、自分に与えられている時間を限界まで活かし、精一杯使い切ることでしか、充実した人生を生きる方法はない。

真剣に時間と向き合おう。

いまやっていることが、命をかけてまでやりたいことなのかを自分に問おう。

やりたくないことは、すぐにやめよう。

自分の時間を大切にすれば、他人の時間も尊重できるはず。

時間は本当に貴重な資源であり、私たちが持つ最も限られたものの一つです。

それは、私たちが一度失った時間を取り戻すことができないことを意味します。

したがって、私たちは与えられた時間を最大限に活用することが必要です。

時間を大切にすることは、自分自身の幸福だけでなく、周りの人たちに対する敬意や感謝の気持ちにもつながります。自分の時間を大切にすることで、他人の時間も尊重するようになります。

また、時間を大切にすることは、人生で本当にやりたいことを見つけるための重要なステップでもあります。

自分にとって本当に重要なことを見つけ、そのために時間を割り当てることができるようになれば、より充実した人生を送ることができるでしょう。

最後に、時間を大切にするためには、自分がどのように時間を過ごしているのかを見直すことが必要です。

時間を無駄にしていることはありませんか?もっと有意義なことに時間を費やすことはできないでしょうか?自分にとって本当に大切なことに時間を割り当てることで、より幸福で充実した人生を送ることができるようになるでしょう。

FREEとプレミアム会員

2009年クリスアンダーソンのFREEが販売されてから、10年間フリーは素晴らしいものだと賞賛されてきた。 まず世の中のフリーのものを考えてみると。

YouTubeはもちろん、Googleの検索やマップ、ネットでの本の無料公開(一部)、アナログで考えれば、試供品や試食、懸賞のお客様プレゼントなど。これらはマネタイズを後ろにずらすこと(マネタイズの対象を変えたり)で成り立ってきた。

具体的には試供品をもらった人がその商品を買ったり、Kindleで無料で読んだ人がその作者の別の本を購入したり、Googleアフィリエイトであったり、YouTubeに関してはいつの間にか広告が入るようになっていた。

デジタルに関して言えば、フリーの考えがもたらしたことは、『可処分所得』の奪い合いから『可処分時間』の奪い合いへと概念を変えたということだと思う。

その考えはこの10年間のビジネスの基本的な物だったのは疑いようが無い。

しかし、ネットフリックスやAmazon primeなどサブスクモデルの登場により、映像は有料化した。

まだ、この時点では良質な映像は有料である(通わなくていい借り放題のレンタルビデオ店)くらいにしか考えていなかった。

だがYouTubeのプレミアム会員制度により、僕たちは広告を見る行為がフリーではないと認識してしまった。

要するに無料だからといって無闇やたらに人の時間を奪ってはいけないと気付かされた。

この時点で単純な可処分時間の奪い合いではなくなってしまったわけだ。

それを踏まえて、サービスの提供者はどうすればいいのだろうか? 考えるべきは「何に」もしくは「誰に」、時間(お金)を使いたいかを認識させることだと思う。

「何に」は機能や品質の高さが重要になってしまうので、これは大企業や一流の人にはとうてい、敵わない。

つまり、これからはサービスや商品を提供する為に、今まで以上に人と人の付き合いや、サービス提供者の共感できるバックボーンなどが大切になってからのだと思う。

良い機能や高品質はすぐに一般化されてしまう世の中は「機能検索」から「ヒト検索」になる。 その為に、検索される(何か買いたい時、思い出される)人になる必要があると思う。

『共感の再生産』

自己啓発系の本って結局書いてあること一緒じゃん」ってよく言われるし、自分自身そう思っていた。

それでも本が好きで、つい似た本を買ってしまう。

「人生一度きり」「他人の人生を生きるな」「好きなことをしよう」みたいな、言葉に共感したいからなんだと思う。

しかし、自分自身を含め多くの場合、共感だけして終わってしまう。

それは、おそらく、ドラマなどと同じ一つのコンテンツとして消費してしまっているからなのだと思う。

例えば、貧困や格差を訴えるSNSの投稿にたくさんいいねがつくのは、貧困や格差を取り扱った映画に心が動かされるのと同じ文脈で消費されていて、実際、共感はするが格差をなくそうと動く人はごくわずかだ。

煉獄さんや半沢直樹は『理想の上司像』というコンテンツの再生産しているが、現実社会へ戻ると、部下の盾になることもなければ、理不尽な上層部を正そうともしない。

多くの人が、YouTubeやnoteなどのSNSで「行動しよう」と発信しているのも、箕輪厚介さんが編集した本と同じ文脈で消費されていて、背中を押してくれる言葉に共感しているだけで、行動はしない。

それは憧れや納得のいかないもの、自分の置かれた境遇や理不尽、不公平な社会への不満などを発信されると、共感し、満たされる気持ちになるからだと思う。

つまり現状に潜在的に満足しているため、似たようなメッセージの本は売れ続けるし、どんなに伝えても人は変わらない。

ただ、その中でも変わりつづけている人もいる。 それは、変化を起こす動機を内在的に見つけられ、モチベーションをあげられる人だ。

そう言った人々は総じて自分の人生にコミットしている。

いつ終わるかわからない人生を全うしようとしている。

そして『死』をちゃんと意識している。

そんなわけで、『死生観』について学びたいと思う。

頑張る≠正しい

一生懸命をアピールしてくる人に違和感を覚えた。

もちろん手を抜く事は悪いことだと思う。

しかし、逆は成りたたないのではないかとも思う。 一生懸命頑張ることは良いことではあるが、必ずしも、それは善ではないということ。

最近、頑張って作ったというプロセスを主張された、事業に必要な資料を見た。

その資料を提出しても、誰も報われないことは明らか。

この場合、この頑張ったという行為は、果たして良いことなのか?

得てして日本人は頑張ったというプロセスや感情を大切にしてしまう。

しかも、その頑張ったことを否定してしまうと袋叩きにあうことさえある。

この習慣は本当に危険だと思う。

例えば、20時間かけて作ったラーメンのスープが美味しくなかったら、その20時間の頑張りは誰かを幸せにしたか?

アウシュビッツ収容所で働いていた人もおそらく日々頑張っていたと思うが、本当に良い行いだったのだろうか?

つまり、成果物ではなく、頑張ったというプロセスを大切にしすぎると、本来得られるはずの結果を得られなかったり、失わなくて良い時間を失ってしまうことがあり得るということ。

頑張ったプロセスをアピールされた時は特に、その成果物をバイアスかけずに見れるような強い心が欲しいと思う。

頑張ったことを大切にすることは良いことだが、それが成果を生むための手段であることを忘れてはならない。

そして、成果を出すためには、時には手を抜いたり、適切な手段を選んだりすることも必要だ。

つまり、成果を求めるために必要なプロセスにフォーカスすることが大切だと言える。

また、頑張りすぎてしまうことは、ストレスや疲労などの健康上の問題を引き起こすこともある。

だからこそ、自分にとって適切なバランスを見つけることが重要だ。

これからは、頑張ることに加えて、成果を生むための方法やバランスの取り方を意識して、より効果的な行動を取っていきたい。

とりあえず「考え方を考える」ことから始めよう。

『選択』で別の誰かを不幸にしてしまう

  選択するということは、誰かを幸せにするが一方で別の誰かを不幸にもする。f:id:samataeisuke0915:20230508184846j:image

最近改めて感じたこと。

人間誰しも他人に嫌われたくないもので、できる事なら、全ての人に愛されたいと思ってしまう。

嫌われないように、空気も読むし、顔色も伺うし、時には自分の意に反する言動をしてしまう事もある。

でも、それって場合によっては嘘をつくって事になってしまう。 しかも、その嘘が本当に大切にしなければいけない人を傷つけてしまう可能性だってある。

当然、嘘をつく人は信用されない。

誰しも嘘なんてつきたくないはず。

ただ、環境や人間関係によって嘘をついてしまうもの。

その根元は『嫌われたくない』という気持ちからだと思う。

ただ、その気持ちが強すぎて、大切な人を傷つけてしまったら本末転倒。

考え方を改めて、誰に嫌われているかではなく、誰に好かれているかを考えられれば、本当に大切な人と良好な関係性を築いていけるかもしれない。

その為には、嫌いな人に目を向けておびえて生きるより、積極的に行動し、本心で付き合い、自分自身が好きになれる人を見つけることが大切。

その方がきっと楽しい人生を送れると信じて生きたい。

『人生を因果として捉えるか、あるいは因縁として捉えるか』

"やりたい事が見つからない。"

 

去年1年間だけでも何回聞いた言葉だろう。その都度、理解や回答に困った。

 

やりたい事が無いのではなくて、「自分には出来ない」って言い聞かせてるだけなんじゃないのかなって思ったこともあったし、やりたいことを考えてる時間が無駄だなって思ったりもしてた。

 

そもそも自分のことを理解をすることが、とても難しいものだから、やりたい事を見つけるってことはさらに難しい問題である。

 

ドライな言い方をすると、今わからないので有れば、今いる場所から動かない限り絶対見つからないというのが結論だと思う。

 

ただ、何の考えも持たずに、「とりあえず動こう」って言われて動ける人って、ほとんどいないのも事実だから、これだと何の解決にもならないなって、思っていた。

 

そんな矢先に出会った『人生を因果として捉えるか、あるいは因縁として捉えるか』という言葉がすごくしっくりきた。

 

もう少しわかりやすい言葉に直すと、 因果として捉えるとは、成し遂げたい明確な結果をイメージしながら、その原因(結果を達成するために大事なこと)を意識しながら生きていくこと。

 

因縁として捉えるとは、どこに向かうかは分からないが、『出会い』というご縁を辿っていくと、いつかはどこかには着くでしょうという発想のもとで生きていくということ。

 

おそらく多くの人は前者を目指して生きていきたいと考えてるため、なかなか動き出せないのだと思う。

 

それもそのはずで、多くの人が前者は強い信念やビジョンが伴わなければ、成立が難しいと思い込んでいる。(実際には、とりあえずやってみたら上手くいったなんてことはザラにある)

 

だから、まず人生を因縁(ネットワーク)として捉えてみるのが良いのでは無いのだろうかと思った。

 

とりあえず、今まで接する事がなかった人に会ってみる。

 

故人や有名人には、書籍や映像を通して、その人の考えに触れてみる。

 

そうすれば、今までに無い価値観や考え方を自分の中に取り入れる事が出来る。

 

きっと次の瞬間から視野が広がり、思わぬ機会に巡り合えるかもしれない。

 

その成長の先で、きっと自分のやりたい事が見つかるのだと思う。

 

ただ一つ間違いなく言えることは、自分にとって快適な場所や習慣から一歩踏み出す必要があるということ。

 

結局のところ、行動しようという結論なのだが、今まではそのモチベーションが目指すべき結果だったから、二の足を踏んでいたのだと思う。

 

その為のモチベーションを因果ではなく因縁、つまり『出会い』を求めるものと考えられれば、少しは気を楽にして行動できるようになるのかなって思う。

 

自分自身も一昨年に、尊敬出来る人と出会い、行動を共にしてから、やりたいと思ったことには挑戦する習慣が身についたと思う。

 

この出会いで人生が好転した。 なので、今後もおそらく耳にするであろう「やりたいことがわからない」という難題を振られたら、このように答えてみようと思う。

 

これからも面白い出会いがあることを願って、たくさん動こう。

イベントの収益化#9株式会社ニシノコンサルで学んだこと

こんにちは、えーすけです。

 

19日の21時に放送された9回目の株式会社ニシノコンサルを簡単にまとめたいと思います。

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https://gxyt4.app.goo.gl/K6TYp

 

今回はキンコン西野さんの持ち込み案件でした!


クライアントは占いフェス主催者(株)ザッパラスの佐々木さん。


相談内容は占いフェスのファンを増やしたい→ひいては占い全体。


前回の占いフェスで大赤字になってしまったので1月のフェスは必ず成功させたいとの申し出。

*赤字が予定の2倍でかなり怒られたとのこと笑


前回の開催時の反省点はインスタ映えスポットを作ったのに、撮影禁止の演者さんがいて、写真が撮れないや、見積りがあまりきていないのに、想いだけでつき進んでしまったこと、新しい事をやろうとばかりしていたことだそうです。

 

まずアシスタントの松本さんのメモです。

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1.フェスの黒字化を図る

2.チケット代だけで考えると赤字になる

3.満足度をいかにあげるか

 

1.フェスの黒字化を図る

西野さん
新しいものは不安になるので集客できない。
つまり知っているものにしかいかない。
友達が行って、面白かったと聞いたものなど。


西野さん
ファンを増やす前に、続けていく為に赤を無くす必要がある。

その為に予算感を身につける。
「相場がどれくらいなのか?」を把握しなければ赤字は解消されない。


西野さん
ザッパラスが大きな会社なので、最高値で提案がくる→交渉が必要。


前田さん
イベントに紐づく売上を作る。
売上を想定したコストのかけ方が重要。
利益を出しすぎると"装飾の豪華さ"などが足りず満足度が下がる可能性もあるのでバランスが大切。
売上がずれるのは仕方ないが、コストがずれるのはマズイ。
売上はコントロールできない。

 

西野さん

景観が大切なので、パンパンにしてはだめ。

人を撮ることに、なってしまわないようにするため。

Max400なら、300人くらい。

 

2.チケット代だけで考えると赤字になる

西野さん

軌跡を狙うのでなく、細かく売上げを設計する。

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細かく1つ1つマスを埋めていくように考える。

1月の開催なので、夜は新年会枠→二次会枠(スナックCANDY)にして売る。

 

西野さん

①チケット代 ②出店量 ③スポンサー料に加えて

④「完成するまでの過程の楽しさ=価値がある」ところを利用して、設営する権利を販売する。

文化祭に参加しているような楽しい体験を販売するという観点。

本来なら設営費としてコストのところを利益に変えられる。

初日は打上げできる権利を売れば、初日は通しで売り切れる。

 

西野さん

スナックCANDYで占いイベントを当てよう会議を行う。

つまりイベントの会議に参加できる権利を販売する。

→当事者になるのでイベントにも来場してくれる。

当日までに売上を出す。

集客がある程度分かっていたら、出店側も参加しやすい。

 

前田さん

撤収作業もコストになってしまうので、撤収できる権利も売ろう。

撤収後に仕事終わりのビールが飲めるという設計にしたい。

働いてからのビールがうまい。

 

3.満足度をいかにあげるか?

西野さん

会場が縦に長い設計なので、一か所にイベントが集中しないようにするべき。

遠い人たちが見えないと、それだけで満足度が下がるから、複数個所で同時多発的にイベントを興す。

 

前田さん

全員が年間の運勢を知るという設計にした方が良い。

ちゃんと調べに来る人もいるがそうでない人もいる。

友達誘うときに「占いフェス行こうよ」だけでなく「今年の僕らの運勢をちゃんと調べに行こうよ」という理由付け与えてあげる。

 

西野さん

イベントの中に出会いの機会を設計する。

合コンと名称せず男女50人ずつなどと明記し販売

→集客方法の1つ「出会いを求める男女が集まる」

 

まとめ

イベントを黒字化するには、奇跡みたいなもの狙いにいくのではなく、確実に一個一個の売上げを細かく積み重ねていくことが大切。

手堅く進めていけば、大きく負けることはないはず。

『確実な収入を増やしていく』

今後、仲間とイベントを開催していきたいと考えていたので、とても参考になる回でした