Everything is up for debate

FPの知識や本から学んだことのアウトプット

FREEとプレミアム会員

2009年クリスアンダーソンのFREEが販売されてから、10年間フリーは素晴らしいものだと賞賛されてきた。 まず世の中のフリーのものを考えてみると。 YouTubeはもちろん、Googleの検索やマップ、ネットでの本の無料公開(一部)、アナログで考えれば、試供品や試食、懸賞のお客様プレゼントなど。これらはマネタイズを後ろにずらすこと(マネタイズの対象を変えたり)で成り立ってきた。 具体的には試供品をもらった人がその商品を買ったり、Kindleで無料で読んだ人がその作者の別の本を購入したり、Googleアフィリエイトであったり、YouTubeに関してはいつの間にか広告が入るようになっていた。 デジタルに関して言えば、フリーの考えがもたらしたことは、『可処分所得』の奪い合いから『可処分時間』の奪い合いへと概念を変えたということだと思う。 その考えはこの10年間のビジネスの基本的な物だったのは疑いようが無い。 しかし、ネットフリックスやAmazon primeなどサブスクモデルの登場により、映像は有料化した。 まだ、この時点では良質な映像は有料である(通わなくていい借り放題のレンタルビデオ店)くらいにしか考えていなかった。 しかしYouTubeのプレミアム会員制度により、僕たちは広告を見る行為がフリーではないと認識してしまった。 要するに無料だからといって無闇やたらに人の時間を奪ってはいけないと気付かされた。 この時点で単純な可処分時間の奪い合いではなくなってしまったわけだ。 それを踏まえて、サービスの提供者はどうすればいいのだろうか? 考えるべきは「何に」もしくは「誰に」、時間(お金)を使いたいかを認識させることだと思う。 「何に」は機能や品質の高さが重要になってしまうので、これは大企業や一流の人にはとうてい、敵わない。 つまり、これからはサービスや商品を提供する為に、今まで以上に人と人の付き合いや、サービス提供者の共感できるバックボーンなどが大切になってからのだと思う。 良い機能や高品質はすぐに一般化されてしまう世の中は「機能検索」から「ヒト検索」になる。 その為に、検索される(何か買いたい時、思い出される)人になる必要があると思う。