一生懸命をアピールしてくる人に違和感を覚えた。
もちろん手を抜く事は悪いことだと思う。
しかし、逆は成りたたないのではないかとも思う。 一生懸命頑張ることは良いことではあるが、必ずしも、それは善ではないということ。
最近、頑張って作ったというプロセスを主張された、事業に必要な資料を見た。
その資料を提出しても、誰も報われないことは明らか。
この場合、この頑張ったという行為は、果たして良いことなのか?
得てして日本人は頑張ったというプロセスや感情を大切にしてしまう。
しかも、その頑張ったことを否定してしまうと袋叩きにあうことさえある。
この習慣は本当に危険だと思う。
例えば、20時間かけて作ったラーメンのスープが美味しくなかったら、その20時間の頑張りは誰かを幸せにしたか?
アウシュビッツ収容所で働いていた人もおそらく日々頑張っていたと思うが、本当に良い行いだったのだろうか?
つまり、成果物ではなく、頑張ったというプロセスを大切にしすぎると、本来得られるはずの結果を得られなかったり、失わなくて良い時間を失ってしまうことがあり得るということ。
頑張ったプロセスをアピールされた時は特に、その成果物をバイアスかけずに見れるような強い心が欲しいと思う。
頑張ったことを大切にすることは良いことだが、それが成果を生むための手段であることを忘れてはならない。
そして、成果を出すためには、時には手を抜いたり、適切な手段を選んだりすることも必要だ。
つまり、成果を求めるために必要なプロセスにフォーカスすることが大切だと言える。
また、頑張りすぎてしまうことは、ストレスや疲労などの健康上の問題を引き起こすこともある。
だからこそ、自分にとって適切なバランスを見つけることが重要だ。
これからは、頑張ることに加えて、成果を生むための方法やバランスの取り方を意識して、より効果的な行動を取っていきたい。
とりあえず「考え方を考える」ことから始めよう。