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人脈という言葉の違和感

『人脈』 僕はこの言葉を多用している人に違和感を感じる。

なぜなら、この言葉には、人間関係にまつわる利己的な感情が見え隠れしているから。

 

「あの人は顔が広い」「誰かとつながれるかもしれない」「あのときの借りがある」などと、意味も目的もなく人とつながり、ネットワークを広げている感じが垣間見えてしまう。

 

もちろん人との繋がりは大切なのは言うまでもない。

 

しかし、それは僕たちが日々、人ではなく情報と出会っているからである。 自分と他人が持っている情報が交錯することで、新しいアイデアが生まれるし、そこに緊張感も生まれる。

 

人脈だけをがんばって広げていても、そんなものはなんの役にも立たないし、自分の価値も高めない。

 

それでは、自分に刺激を与えてくれる本物の情報に出会うためには、どうすればいいのか?

 

それは、もし会ってみたいなら相手がいるなら、その相手のことを事前に良く知っておくこと。

 

今はSNSなどいくらでも相手の考えや求めているものなんて知る事ができる。

 

会う前から相手のことを熟知しているからこそ、なにかの機会で会ったときに、相手の求めている情報をピンポイントで提供することができる。

 

そうすれば、過去の武勇伝など自分アピール中心のコミュニケーションではなく、お互いに密度の高い情報のやりとりが生まれる。

 

会話しているだけで新しい面白いアイデアが生まれてくる。

 

もし、これがビジネスなどの場であれば、生み出そうとしている商品やサービスのクオリティーにも直結していく。

 

意味のない人脈なんて、求めるのをやめよう。

 

本当に価値のある情報を得るためには、ただ人と繋がるだけでなく、その人のことを事前に良く知ることが重要です。

 

SNSなどを利用して相手が求めている情報や考え方を理解することで、会う前から相手に対する適切なアプローチができるようになります。

 

そうすれば、お互いに密度の高い情報交換ができ、新しいアイデアや可能性が生まれます。

 

ただ人脈を広げるだけではなく、相手との繋がりに本質的な意味を見出し、相手にとっても自分にとっても有益な関係を築くことが大切です。