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FPの知識や本から学んだことのアウトプット

無駄な時間がくれるもの

子ども達が遊んでいる姿を見ていると、一緒に何かをする時も有れば、各々で好きなことをして遊んでいる時もあった。

親の目線で見ると、せっかく久しぶりに一緒にいるのだから、一緒になって遊べば良いのにと思ってしまう。

しかし子ども達は違うことをしていても、一緒に遊んでいると感じているらしく、「また一緒に遊びたい」という。

多分、子供にとって一緒に何かをすることではなく、ただ一緒にいることが重要なのだろう。

一見、ムダに見える時間の蓄積が子供どうしの関係では、とても大事なことなのかもしれない。

一方で大人の付き合いには、ムダを省こうという風潮がとても強く感じる。

「自分の人生を最大限生きよう」「効率的な時間の使い方をしよう」「ムダなことに時間をかけてはいけない」みたいなことがしきりに叫ばれている。

だから、自分自身もそうであったが、人と会っている時や何かに取り組んでる時に、そこから『何かしらを得よう』と常に考えてしまっていた。

一緒に何をするか、どのような話をしたかが重要になってしまっている。

飲み会でさえ、zoomで行うと、何かしらの成果を求めてしまう気がする。(せっかくzoomで時間をあわせているのだから、楽しまなければいけない。みたいな。)

つまり目的をもって人とのコミュニケーションをとってしまっているということ。

その考え方も正しいと思うし、時間が大切ということは100%同意だが、それだけだと窮屈に感じてしまう。

隣に座ってボッーとしたり、生産性もない雑談をしたり、一緒に海を眺めたり、喧嘩したり。

そういったムダに思える時間こそ、変化の激しい今の時代に必要ではないのだろうか?

そういった時間から家族の愛や仲間の絆を感じ取れるのではないか?

何かを協力し達成することで築ける信頼関係もあれば、目的もなく時間を経過させ、ムダな時間を共有することで築ける深い絆もある。

今自分がムダな時間を提供できている相手って誰だろう?

自分のためにムダな時間を使ってくれている人って誰だろう?

大切な人をより大切に思えるように、一緒に過ごせるムダな時間を愛おしく、大切に感じられるように生きていきたい。

大人社会においては、時間を効率的に使うことが重要視されますが、それだけに「ムダな時間」を過ごすことに疎くなってしまっている傾向があります。

しかし、子どもたちの遊びを見てもわかるように、ただ一緒にいる時間こそが大切なのかもしれません。

人との関係性を深めるためには、単に目的を果たすことだけでなく、ムダな時間を共有することも必要だということを改めて考えてみると良いでしょう。例えば、家族や友人と一緒に何もしないでただ過ごす時間も大切です。

そういったムダな時間こそが、家族や友人との絆を深め、心の豊かさをもたらしてくれるのかもしれません。

大切な人との時間をより愛おしく感じられるように、ムダな時間を提供したり、ムダな時間を共有することを大切にしましょう。