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FPの知識や本から学んだことのアウトプット

努力は意思ではなく、仕組みで行う

年明けから隔週の土曜日の朝に数名集まって勉強会をしてきた。 最近になって、やっと成果を実感してきた。

日々の生活の中で気づいたら抽象化してたり、些細なことでもアウトプットしたり、今までは確実に出来てなかったことが定着している。

ここ数回の朝活は、

①日常のインプットをアウトプットする練習

②産後休暇及び育児休暇の制度を理解して不安を無くす

③ コンサルの必須のスキルの一つである、ロジックツリーを日常の思考の中に取り入れる方法

④「影響力の武器」から学ぶ行動経済学の基礎の前半(行動経済学を学ぶべき理由、返報性の原理、コミットメントと一貫性の関係)

隔週でアウトプットが控えているから、単に本を読んだりするだけより、はるかに定着する。

外的要因に感化され、一時的に意識が高くなることはあるけど、多くの場合、人間はやらない理由を必死で探して、その理由を正当化してしまう。 誰もそのやらない理由なんて興味すらないのに、「今日は仕事で残業した」とか、「ちょっと寝不足だから」とか、「明日、休日だから明日やれば良いや(結局、休日は休日で別の理由を探す)」など、何の生産性もないことに頭を使い、このままだとマズイという不安を解消している。

結局何の解決にもなっていない。

自分の能力を理由にする人もいる すぐに結果が出ないから、切り替えて、なんとなく自分のできる範囲のことで頑張ってしまう。

つまり自分の意思に依存する努力を続けるのは、本当に難しいということ。

努力する理由を日常の生活に落としこんで、仕組み化さえ出来れば、おそらく人の成長は止まらないし、複利で伸びていくと思う。

成功する近道は人脈を増やすってのは間違いないと思うけど、その考えは明らかに片手落ちである。 すごい人と接点を持てて、チャンスが訪れたとしても、そのチャンスを活かせるだけの人間になっていなければ、その機会はあまり意味のないもの。

成功したいとか、お金を稼ぎたい、って意気込んでる人は、色々なところに顔を出すことに必死にはなるけど、多い印象がある。

結局、努力しても満足な結果を得られるかはわからないけど、努力せず、得られるものはほとんど無いと自分に言い聞かせて行動をしたいと思う。

『正しさ』を主張するということ

スマホを見ていて世の中には、矛盾していたり、白黒はっきりしないことがたくさんあるなって感じる。

「勉強して良い大学へ行って、安定した就職先に入りなさい」っていう人もいれば、「大学なんて意味ない結局はその人の能力の問題だ」っていう人もいる。

かたや、そういった論争を俯瞰で見て「多様性が大事だから全部正しい」っていう人もいる。

今の就活のルールであれば、いい大学へ行けば選択肢は増える。

ただ社会に出てからは大学の勉強より求められる能力もある。ルールも変わるかもしれない。

そもそも自分らしく生きるに越したことはない。

全ての考え方に対して理解できる面と、理解できない面がある。

だから世の中のほとんどのことは、曖昧なままであるのだと思う。

ただ一つ腑に落ちないことがある。

それは曖昧な世の中で『自分の正しさを主張する』ということ。

自分自身がよくしてしまっているので猛反省。

何が正しいかなんて、立場によって変わってしまうものである。

それなのに自分の正しさを主張してしまうのは、単に楽をしようとしているだけ。

では、なぜわざわざ「正しさ」をを主張する必要があるのか?

それは自分の「使命感」を最優先に考えてしまっているからだと思う。

「使命感」というものは自己満足なもの。

使命感があると、重要なことをしているように感じるので、自分の中で勝手に盛り上がって楽しくなる。

その盛り上がった楽しさを他者に共有する際に「正しさの主張」が必要になる。

しかし、この時の「楽しい」は自己陶酔的なものであることが多い。

#休日にチャイムを鳴らして勧誘してくる人と本質は一緒だと思う

そうならない為にどうするのが良いか考えてみると、結局いつも通りの良く聞く答えに行き着いた。

それは「使命感を重視せず、自分が楽しむことが、結果的に使命を果たすことにつながる」という考え。

何度も聞く話だし、多分大切なことなのだと思う。

道なき道とは

多くの人は『結果が出るかどうかわからない事』に力を注ぐ事に対して、不安を抱いてしまう。

例年通り、今まで通りにやれば、それなりに結果が出続けると思っている。 だから多くの企業が変化を拒んでしまう。

コレは年齢で分けることができない問題だと思う。

若い人は変化を期待し、年配者は現状維持をしたいと明確に区切れるものでもない。

経営陣は前年対比という何の根拠もない数字で、今までと同じことで数字を伸ばせといい、多くの従業員もまた、今まで通りの仕事をこなしている方が楽だと考えている。

つまり多くの人が、道なき道を歩くのが怖いと感じてしまっている。

しかし、世の中を見てみると多くのIT企業が前人未到の道を歩んでいる。

ジョブズザッカーバーグもラリーペイジもベゾスも、彼らだって人間だし、多少不安はあったはずだ。

しかしGoogleFacebookAmazonAppleなど、道なき道を歩く人が、これだけたくさんいるということは、もはや道なき道がそこまで危険な時代ではないということなのかもしれない。

「人間はどういう時に、どういうふうに感じて、どういうふうに行動するんだろうか」を突き詰めていき、人に喜んでもらえるサービスを提供できれば必ず生き残れる。

自動車がない時代、自動車を作る人たちは前代未聞のことをしていた。

多くの嘲笑もあったに違いない。 しかし人間の「早く楽に移動したい」という根源的な欲求があることを理解していたから挑戦できた。

今、世の中の人は何を求めているのだろう。 世の中を見渡し、時代の変化を感じながらも、変わらない本質的なものを見れるようになりたいと思う。

日常に余白を

子供を見ていると、次から次へと自分のやりたいことをやっている感じだ。 飽きたら、すぐ他のことを始める。

 

おそらく日常に余白がたくさんあるからだ。 一方、大人には全く余白がない。

 

仕事をして、帰ってきて息抜きして、また朝が来る

 

家に帰ってきても、ネットフリックスや、SNS、メッセージアプリやニュースアプリなど少ない余白を外からの情報がどんどん埋めてしまう。

 

おそらく余白がかってに生まれるなんてありえないのだろう。

 

しかし、自分の内側から出てくる、感情やアイデアこそ大切なのではないかと思う。

 

ジョブズなどイノベーターと言われる経営者はマインドフルネスの心を保つため、瞑想、座禅、ヨガなどを意図的に取り入れている。

 

ビジョン思考を機能させるために必要らしい。

 

つまり、忙しい大人ほど限られた時間をよりよく生きるために、あえて時間の余白を作る必要があるのだと思う。

 

余裕が出来たらやってみようではなく、先回りして余白を作る必要があると自分に言い聞かせよう。

 

とりあえず無地のノートに向き合う時間を取り入れて、その他の時間は情報に触れ続けよう。

 

子供たちは余裕があるから、自分のやりたいことを探求して遊び、成長していくのですね。

 

しかし、大人になると忙しくなり、時間が限られてくるため、余白を作ることが重要です。

 

余白を作ることで、内面から出てくる感情やアイデアに向き合い、自己成長を促すことができます。

 

イノベーターたちは、マインドフルネスを保つために瞑想、座禅、ヨガなどを取り入れているそうです。これらの習慣は、ビジョン思考を機能させるために必要なものだとされています。

 

ですから、忙しい大人ほど、時間の余白を意識的に作る必要があるのです。

 

それには、先回りして余白を作ることが重要であり、無地のノートに向き合う時間など、自分自身と向き合う時間を作ることが大切です。

 

情報に触れる時間も大切ですが、自分自身と向き合う時間を作ることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

機能の少なさが育む創造力

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先日、子供を連れてAEONに行った。

そこで子供が専門店街にある、子供の遊び場を見てそこで遊びたいと言った。

そこのスペースには、木製の大きな滑り台があるだけで、すぐに飽きちゃうのだろうなって思っていた。

しかし、いつまで経っても飽きずに遊んでいる。

何が楽しいのかな?って考えながから見ていた。

しばらく見ていると、むしろ飽きるどころか、滑り方を変えたり、近くにいる子と一緒に遊びだしたりし始めた。

おそらく、滑り台しかないという状況が、子供たちに、その中で楽しむための工夫をすることを促しているのかなと思った。

つまり、工夫をする余白を設計することで、子供の創造力を引き出すという仮説が立つ。

その仮説をもとに日常を振り返ってみると、子供が遊んでいるものは機能や情報が多すぎる為、工夫する力が身につかないのではないかと思った。

おもちゃには色々な機能が付いているし、YouTubeには情報が溢れている。

公園で集まってSwitchをしている子供もいる。

そう言った日常の中で身につく能力もあるかも知れない。

しかし、それでは与えられた情報や機能の枠を超えて考える力が身につくかは疑問だ。

以前、祖母が「昔は石と葉っぱでおままごとをしていた。」と話していたが、今の小学生が石と葉っぱで楽しめるだろうか?

まだ自分の子供は、おもちゃの人形に独自のルールや特徴をつけて自分なりの世界観で遊べている。

この妄想する力を奪わないように、むしろ伸ばせるように、子供と接していきたいと思う。 

一緒に考え、一緒に成長しよう

 

複数の自分を使い分ける

「オンリーワン」や「自分らしく生きよう」って言葉が言われすぎて、逆に居心地が悪く感じる。

仕事の自分は、真面目だけど、趣味のコミュニティーではお調子者、家だと怠け者みたいな方がラクだし、それはそれで自分らしいとも思う。

要するに所属する環境に合わせて複数の自分を使い分ける方が自然だし、その全てが「ほんとの自分」である。

だから、これからの世の中を自分らしく生きていくためには会社や家族以外の複数のコミュニティに所属している方が良い。

趣味、自己啓発、ビジネス、ボランティアなど。 その各々コミュニティで役割が与えらると思う。

今までは会社という絶対的なコミュニティに所属さえしていれば、安定した生活や老後が約束されていた。

会社に行けば、嫌なこともあるが、ある程度の生活を約束され、役割を与えてくれるので、そこに自分自身の存在意義を見いだせていた。

しかし、世の中の変化により、会社というコミュニティが多くの社員を守り抜く力を失った今、自分自身の人生をもう一度真剣に考える機会が必要にやってきている。

日常のコンフォートゾーン(快適な空間)から一歩外に出るだけで、違った世界や価値観に巡り合える。 最初の一歩は勇気のいるものだと思う。

このまま今までと同じ日常を歩んでいく方がラクだし、面倒でないのも、間違いない。

ただ行動を起こした人だけが出来る経験や見れる景色がある事も事実だ。

自分らしく生きるために、新しい場所へ参加する習慣をつけよう。

「何をすべきか」より「どうありたいか」を追求する

何年か前から、「何をすべきか?」を考える前に、「どうありたいか?」を考えるようにしている。

そこには2つ理由がある。

1つ目は、何かを決めるときに、「どうありたいか」が基準としてあれば、判断に迷わずにすぐ行動に移せるから。

2つ目は、「何をすべきか?」は自分の意思以外が簡単に反映されてしまうからである。

例えば、顧客にサービスを提供するとき、相手にとって最善のものではなく、会社や上司にとって都合の良い物を提供してしまうことがある。

しかし「お客様にとって最善を尽くせる人間になる」という基準があれば、周りの影響を受けずにすむ。

そのおかげで、自社のサービス以外が、相手にとってベストと判断した時は、迷わずそのサービスを紹介が出来る。この方があとから、結果がついてくる。

こう言った理由で、「どうありたいか」を大切にしてきた。

最近、その考え方を更に確固たるものにしてくれる言葉に出会った。

それは、セブンイレブンの創業者の方の書籍に書いてあった『「あるべき姿」をひたすら追求する』という言葉だ。

そこには、お客様に提供する商品やサービスの価値には「相対的な価値」と「絶対的な価値」があると記されている。

"前者は、競合他社などと比べてより優れているといった優劣を競う価値で、これに対し後者は、お客様により満足してもらいたいという自分たちの思いや価値観を大切にし、「あるべき姿」をひたすら追求することでもたらされる価値。

日本人は横並びの意識が強いためか、同業他社に目を向け、相対的な比較の中で他社より少し進んだ程度で挑戦したつもりになりがちだ。

しかし、本当に必要な挑戦は、自分たちの目指す「あるべき姿」に目を向けて絶対を追求し、絶えず踏み込んで行く挑戦であることを忘れてはいけない。" この本を見て、今まで大切にしていた考え方がアップデートされた気がした。

やはり、自分にとっての本はとても価値のあるだと思うし、周りに本を読む人が増えて欲しいと思う。

このように、「どうありたいか?」を基準にすることで、自分自身の価値観を大切にしながら、自己決定を行い、自分自身の目指す「あるべき姿」を追求することができます。

また、この考え方は個人だけでなく、ビジネスでも応用することができます。

顧客や社会に貢献することを目的としながら、自社の理念や価値観に基づき、独自性を追求することが重要であるということです。

そして、書籍や本を通して、自分自身や周りの人々が成長し、新しいアイデアや考え方を得ることができるということも示唆されています。